思い立って深夜に家出をしてみたが
あまり行くところがない。 これが学生のころなら 友人宅に転がり込むところだが、 みんな家庭を持つ年齢になるとそうもいかない。 コンビニと牛丼屋さんとリサイクルショップが一緒になった 少し大きめの駐車場に車を停めて、携帯をいじったり空想にふけったり。 しばらく経ってふと見ると、ミニパトが後ろにいるから驚いた。 ストーカーのように音もなく、いつの間にか忍び寄って、 じっとこちらを見ている (ような気配)。 そして、 悪い魔法使いのお婆さんが、 子供たちを前に舌舐めずりしている陰湿さで、 駐車している車を順々に覗いて回る。 職務質問したくなるような不審さだ。 やがてよっぽど怪しかったのだろうか。 再びこちらへ戻ってきたかと思うと、 僕の周りをゆっくり回る。 気に入られたみたい。 怪しまれては面倒くさいと、 あくまで平静を装って、 堂々と顔をあげ、 携帯をいじってみせる。ポーズ。 けれども決して目を合わせてはいけない。 なぜかそんな空気。 駐車場にいるだけで犯罪者にされかねないこのご時世。 深夜の家出はあんまりお勧めできないようである。 谷川俊太郎のエッセイにこうあった。 もたれ合う、依存しあう家族よりも、ゆるやかな絆で結ばれた個人の集まりとしての 家族をとらえるほうがいいのではないかと、その是非はともかくとして私は考えるよ うになっています。たとえ血がつながっていようと、結婚の誓いをともにしていようと、 自分ではない人間を一個の他者と考えることが必要な時代になってきていると思う のです。 (谷川俊太郎「ひとり暮らし」)より 先日、読書会なるものに初めて参加させてもらったのだが、 それは、気に入った本や文章を持ち寄って、みんなで話し合うというもので、 本来独りで楽しむものである読書を、共有するという形で楽しむ、 とても面白いものだった。 その集まりが とても気持ちよかったのは、 人それぞれのいろいろな読み方や感じ方を、 否定する者もなく、奪いあうこともなく、 尊敬をもって皆が迎えることだった。 僕は久しぶりに、 家出の共犯者を得たような、 そんな喜びを感じることとなった。 家族や恋人関係において 依存傾向が高くなることは 仕方がないことだとも思うのだが、 しかしそれでも人生に、友人の家出にしばし付き合う隙間ぐらいは、 僕も含めて常に持ち合わせているべきじゃないかと、そんなことを思うのだ。 とりあえず、 本は家庭をもたないから、 いつまでも僕の家出に付き合ってはくれそうだ。 教えてもらった作家さんの本を、4冊買った。
by nowhere-else
| 2011-02-02 03:02
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