その昔、長屋みたいなおんぼろの、町営の一軒家に住んでいた頃のこと。
そこにはもともとお風呂はついていなかったのだが、 普段ぐうたらしている親父が、ある日突然自分でお風呂を作った。 どこから出現したのか薄っぺらな銀色の浴槽を、 やけに急勾配の土間にぽんと置いて、 か細い柱にぺらぺらの波トタンで囲った、 なんとも寒々としたお風呂だった。 いまにして思えば、 同じく風呂無しのはずのご近所さん宅にも 軒並みお風呂が付いていたところをみると、 みんな勝手に作っていたってことなんだろうな。 自由な時代である。 そういえば親父は車庫も作っていた。 またもや、まるで自然に戦いを挑んでいるかのようなか細い柱でもって、 屋根垂木の本数だけが無駄に多い、 なんとも納得のいかない車庫だった記憶がある。 たまたま今回、棚を自分で作っていたからか、 そんなことを思い出していた。 今では“時間を買う”つもりで、 なんでも買ってきて済ませてしまいがちだけれど、 昔の人は、結構何でも自分で作ったものなのだ。 いろんな法律も緩かったなんてことがあるのかもしれない。 さて、その親父のことは最後まで好きになれなかったのだけれど、 彼がこと切れたその瞬間に、それまでのことは一切合切どうでもよくなって、 最近ではそこかしこで見かけるおじいちゃん達の姿にも、 彼の面影を感じてしまう。 * 「やってますか?」 先日、ランチが終わったぐらいの時間にそっとお店をのぞき込んだおばさまひとり。 1年ほどうちが病気でおやすみしていた間も何度か訪ねてくれていたようで、 そればかりか他の場所で再開したのではと、新店オープンの声を聞くたびに、 わざわざそのお店に覗きに行ってくれていたそうだ。 ありがたい話である。 そのおばさん、 うちが病気のために休んでいたと分かると、病気の息子の話をしだした。 きっと誰かに吐き出したい思いが、いつも胸につまっているのだろう。 延々と話し続ける。 いまも薬を飲み続けることで病状が安定していること。 それでも孫が生まれたこと。 親より先に死んでしまうであろう親不孝を、息子が詫びていること。 目が潤んでいる。 うちの母は僕の入院中、 僕の前で不安げな顔を見せることはなかったが、 やっぱり僕のいないところでは、こんなふうに、 誰かに思いを吐き出していたのかもしれない。 おばさんもきっと息子さんの前では不安げな顔は出さないのだろうな。 おばさんのなかに、うちの母が映る。 * ジャニーズの某グループが好きだったお母さんのもとに、 今でもチケット予約の案内が届くのだと教えてくれた友だちの話は、 いつまでたってもこころから消えることはない。 ぼくは友だちのお母さんのなかに、自分の母の姿を重ねるし、 きっと、その友だちも、 日々の暮らしの中、すれ違う人の流れなかで、 いつも間近に、お母さんを感じていることだろう。 人はつながっていて、 そして永遠に、生き続けるんだ。 * さて、ぐうたら親父の息子であるぼくも、案の定、 自分で棚などを作るようになって、それを楽しめるようになってきた。 しかしいかんせん素人仕事。 今回も、4日間おやすみをいただいて制作の予定が、 一日延びて土曜日オープンの気配。 再開を楽しみにしてくださっていた方には申し訳ありません。 土曜日には再開させていただきますので、 開いたら、覗きにきてください。
by nowhere-else
| 2012-02-24 10:09
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