いつもの席に腰を下ろして、 ほかの本より随分時間をかけて、その本を読みながら、 その子は涙が止まらないようでした。 東直子さんの「とりつくしま」。 そのなかでは、死んでこの世に未練のある人は、 なにかモノにとりつくことが許されます。 「とりつくしま係」が僕に近づいてきて、 何にとりつきたいかと聞いたなら、僕は迷わず答えるでしょう。 何にもとりつきたくはないと。 自分のいなくなった世界で、 自分の不在を感じながら、 誰かに寄り添って生きるなんて。 ピッチャーの息子の中学最後の公式戦が見たいと、 滑り止めのロージンにとりついた母は、 愛する息子の手の中で、白い粉となって舞い散りながら、 その活躍を祈ります。 妻の日記にとりついた夫は、 妻のなかで少しずつ小さくなっていく自分の面影と、 やがて彼女の中に芽生える新しい恋の、その門出に立会います。 母は試合の結末を見ることなく、 空に舞い散り消えていく、最後のときに思います。 あの子は、勝ったの?負けたの? ああ、でも、どっちでもいいな。陽一は、とてもよかった。 いい球だった。いい試合だった。 これからも、自分で考えて、自分で球を投げるんだ、あの子は。 日記になった夫は、 ふたりが交わしたたくさんの手紙と共に、その朝炎に焼かれながら、 最後にこんな風に思うのです。 僕は、遠のいていく意識の中で、炎の向こうにいる希美子へ、 最後の言葉を、思った。 おめでとう。 僕はあらためて思います。 自分の人生が、ほかの誰のものでもないように、 ひとの人生もまた、あくまでその人のものなのだと。 人の幸せを祝福し、自分のための人生をいきようと。 「とりつくしま」、 本棚に新しく置きました。 今日も誰かのこころに届くでしょうか。
by nowhere-else
| 2012-02-15 00:22
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